いとしい後悔背負って

V6が好きな社会人。勉強、旅と時々仕事。

触らぬ神に祟りなし

 

親と接するときのモットー。

感情の起伏が激しいので、パッと見て機嫌がよくなさそうだったら話をしない。何か言うたびに突っかかってこられるし、そういう人ってメンタルに悪影響。振り返ってもしょうがないことをぐちぐちいう人とか、あとから「あの時は本当はこうだった」みたいに言ってくる人が苦手なんだけどそういう人間、親って。

振り返るだけじゃ何も生まれないよね、何も生まれないならその愚痴必要なくない?何ができるか考えたほうがよくない?

 

私は「子はかすがい」みたいな子供ではないので2人の間が冷戦のようになっていても機嫌を取りに行くことはしない。そのために生まれてきたわけじゃないし。お互いに薄っぺらい会話で機嫌取り合ってることはあるけど、見ていてぞわっとするし、絶対に結婚したくないと毎回強く思わせてくれる。感謝。

 

THEBOYFROMOZが2公演当たっていたから有休をとって見に行くと言ったら「ほんとジャニーズに貢献してるね」と一言。

ほかのアーティストのコンサートやイベントに行くことは何も言わないのにまるで親の仇かのようにジャニーズだけを毛嫌いしているようだ。私自身は事務所推しではないし、イベントに行きたいと思えるのはいわゆるSTVKまでなのだが、そんなこと理解しようともしない。「ジャニーズ」という不快感を覚える集団なんだろう。

 

ただ、OZのチケットは私が稼いだお金だし、有休も自分の休暇を使用しているのだからなぜ嫌味を言われなければならないのか疑問。100歩譲ってお小遣いだったらまだしも、あなたのお金も時間も奪ってないのにどのような権利があって私の休暇の使い方に口を出してくるんだろう。不思議な人間だ。最近あるアプリにはまっていて子供の時からゲームとかしてこなかった人生だからかやればやるほど順位が上がることに快感を覚えたのか会話しながらもやってて人の話を聞いていない。生返事かと思うとゲームしてる。もはやゲーム中毒の小学生とかと同じレベルだとおもう。ゲーム系の娯楽に慣れていないとお店になってこうなる人もいるんだ、と興味ぶかく見ている。(私もゲームなしだったが、成人してからもゲームには興味をそそられない。)

 

OZは渋谷で行われるから渋谷に行くよ、と言ったら「人の多いところにはいかないんじゃなかったの笑?」とまた嫌味。

いつの発言を引き合いにしてそうコメントしたのかわからないがおそらく①昨年8月頃②昨年冬。

①は、V6のラストライブが決まったから何が何でも行く、と決めて家とか医者の往復だけをする毎日だった。彼らに迷惑をかけたくなかったし、感染者数も激増していた時期。②は、特にイベントはないけれど感染リスク+精神的な問題で人込みに行くことが困難だった時期。

②に関しては、病院の先生は「リスクの低いところもありますよ。できるだけ外に出て慣れていきましょう」と言ってくれていたのでむしろ怖がらずに出られるようになったことは回復なんだけどそういう事情も理解していない様子(話してはいるんだがおそらく聞いていない)

そんな時期の話を持ち出して楽しみなイベントに行くことをからかうような人間にはなりたくないと強く思う。

楽しみだった気持ちが上記の嫌味たちでしぼんでしまってただただ悲しい。

 

自分自身が皮肉や嫌味をよく使うと思っていたけれど、それはこの親の会話を聞きながら育ってきて醸成されたものなんだと気づいた最近。2人とも不快なことや自分の意見とあわないことがあると怒るというより嘲笑みたいに皮肉を、嫌味を言う。

それを聞いて育ったらそりゃ皮肉っぽくもなるわ。

 

自分の時代遅れの価値観を認められなくて「ポリコレ」という言葉で揶揄して「こんなことにも配慮しなきゃなんて世知辛い」という親を見ているともはやつらくなってくる。ああ親もご多分に漏れず世間でいう「老害」になってきたんだなと思うと、外で人に不快感を与えていないか心配になるし、親とかかわってくれている外の人々に申し訳ない気持ちでいっぱい。

 

 

 

性善説

 

世代ごとの価値観の違い。

 

親は、お互いの名前がわかるクローズトチャットとかでは多少侮蔑的な表現とかも使っても本音が言えるならそれでいい、という考え方なんだけど、普通にその感覚が理解できない。

 

名前わかっても顔わかるわけじゃないからもしかしたらその人の名をかたった他人かもしれない。そのチャットサービスが100%安全(なんてことは世の中にないんだけど)なわけはないからなにかのきっかけで本名とセットで発言がばれるかもしれない、それが拡散されるかもしれない、とか考えたらよほど親しい人じゃない限りオンラインでおパーソナルな話をテキストですることは危険しかないなと感じてしまう。

 

これは、世代間の違いなのだろうか。

親たちは、クローズトの安全性を信じて、そこにいる「名前を知っている」人々は本物であると信じて、その人たちの中に自分に少しでも負の感情を抱いている人はいないと信じて、そう行動しているのかもしれない。

 

でも私には無理だ。

私は、未成年飲酒とか労基法違反のようなストーリーを見つけたらそれが親しい友達限定公開であってもスクショしてしまうし、誰かの消したい黒歴史みたいな画像も保存してしまうし、長文闇ストーリーとかにおわせも保存してしまう。いつかその人たちが自分に害を及ぼしてきた問いに反撃する材料になるから。

みんなが私みたいな人ではないことはわかっているけど、こういう行動をとる人もいることを考えると、うかつに発言はできないなと思う。

URL限定公開とかならまだしも、一応パブリックなサービスの中でクローズトチャットを作成するのはもはやクローズトではないのではないかなと思う。

この感覚ってデジタルネイティブならではなのかな?それとも親のデジタルリテラシーが低すぎるのかな。

 

世の中そんないい人ばかりじゃないよ。

切り抜きでもいいからあなたに不利な証拠を作り出したい人なんてごまんといるんだよ。あなたがいくらそれを否定しても、一度拡散された間違った情報を払しょくすることが不可能に限りなく近いよ。

正論とか理想的とか私の意見を切り捨てるのは勝手だけど、あなたがいざ追い込まれた時私は何も助けないよ、だって助言したから。

 

性善説くそくらえ。

 

 

好きだなあ

なんだか間が空いてしまった。

 

6人ともそれぞれに活動していて、日々どんどん情報が入ってくる。

さみしい気持ちもあるけれど、丁寧に別れの時間を過ごせたおかげで絶望ではない。

お互いが活動を追っていたり、V6の曲を流し続けてくれたり、メンバーの名前を出してくれたり、そういう些細なことがとてもうれしい。

今まで解散したグループにはできなかったことを成し遂げてくれた6人に感謝しかないし、好きだなあとじんわりとおもう。

 

気持ちが落ち込んだ時も、あのポスターの笑顔を見るとどこまでも救われるしこれからもどうか幸せで生きていってほしいなと強く思う。

 

世界は暗いニュースであふれていて、どう過ごすのが正解かもわからなくてひたすら気が滅入っていたけど、そんな世界だからこそ6人が生きていることがたまらなくうれしい。

 

それぞれがやりたいことをやってほしいなと思う。ファンに見せなくていいから細く緩くお互いつながってくれていればなおうれしい。

 

 

報道にもやもや

試験や業務に追われて全然自分の時間を持てていないけど、どうしても書きたいことがあってここへ。

思考は文字にしないと整理されず、残されない。

 

ヨーロッパに留学していた身からするとニュースに出てくるすべての国に友達がいるし、戦争している国たちも知り合いにあふれている。

国同士の戦いであって国民性を攻撃するのは違う。おそロシア、と揶揄して国民までひとくくりにするのは違う。

 

もう一つとてももやもやしていること。この戦争がウクライナで起きたから、ここまで報道されているんだろうなと思ってしまう。「戦争が起きる瞬間に立ち会うなんて」と言っている人がいたが、アフリカ大陸や中東では日常的に起きている出来事ではないだろうか。だからと言って今回の戦争を軽視するわけでも擁護するわけでもない。

 

ただ、日本及び世界のメディアの報道の仕方の違いに驚き、少し悲しみを覚えた。

 

ウクライナの人々は英語/ロシア語という話者の多い言語を使え、インターネット環境、デバイスを持っていて、”ヨーロッパ”の一部である。

ヨーロッパVSロシアの構図はずっと続いていてNATOvs Russiaもよく言われる問題ではあったけど、ここまで一方的なニュース(決してロシアを擁護しているわけではない)ばかりで日本も米英もウクライナのニュース一色になっているのがただただ驚き。

アフガンもミャンマーも一時的な報道の後は(紛争は続いているのに)収束していった。自分たちにとってメリットのある国、地政学的に重要な地域での出来事だとここまで扱われ方が違うのか。

 

そしてこれは「約80年ぶりのヨーロッパでの戦争」ではない。ユーゴを思い出してほしい。ユーゴの国々はいまだにcandidate countries of EUだし、米英、NATOにメリットのある地域ではないかもしれない。でも、確かにあの地域で紛争はあったし今も続いている面もある。

 

いつもはデモにも募金にも参加しないくせに今回だけ謎にたくさんの投稿をシェアしてお気持ち表明する人のなんと多いことか。ウクライナは美人が多いからいい国?

ロシアも民族的には同じですけど。カザフにもエストニアにもいますけど。

 

I think I don't have enough time to organize my thought about this war and I don't have enough room to think about but my もやもや becomes stronger as many people make their "opinion" about this and do sth for Ukraine.

DO YOU KNOW WHY THIS HAPPENS AND WHERE UKRAINE IS??

I don't want to offend people who wants to support Ukraine but can't understand how media report this.

It's soooooooooooo different from what they report Afghan, Myammar or other wars, political conflicts.

きっとメディアの報道の仕方は変わらないんだろうな。

報道で現地に”たまたまいた”日本人大学生のインタビューを流す意図もわからないし、今回だけ都庁ライトアップするのもわからない。

国の重さは一緒ではないのか。

メディアは自分たちの報道の仕方が人々に与える影響の大きさをわかっていないんだろうなと思いながら日々過ごしている。

SUCH A STRESSFULL!!!!!!

 

 

 

 

自分で調べる力

親を見ていて思うのは、「自分で調べて解決する力」が低いということ。

 

たとえばなにか知りたい物事があった時、自分の同年代や職場の先輩は基本的に「自分で調べて解決」できているし、少なくとも途中までは調べた後で「ここからわからない」というように助けを求めるがそもそも最初の調べる段階までいかないところが怖いし感覚の差を感じる。

生まれた時からわからなかったらgoogleの人生なので起きる差なのだろうなとは思うけど、もう少し現代になじむ努力ができないものか、と。

 

さらにひどいのは親より年上の親の同僚も似たような状況なのでチーム内の年齢が高い場合誰も解決できない、という悲劇が起こること。時間がない、忙しい、と嘆く前に効率化の方法を調べたり、そうした「調べる力」を身に着けたりすることはもはやできないものなのか、と見ていて悲しくなる。

 

それも私が1年目だから、デジタルネイティブだから言えることなのかな。

嘆いたり愚痴っても状況は改善しないと思っているので基本的にネガティブを周囲にまき散らすことはないのだけど、まき散らす人のほうがmentally goodだったりするらしく、それを変えたほうがいいのか悩むこの頃。

しゃべる前に手を動かしたいし嘆く前にできることから改善したいんだけど間違ってるのかな。

 

備忘録

昨年の8月、最初で最後のV6ライブ参加が決まった時から生活スタイルを大幅に変えた。

 

それまでも自律神経の乱れに伴う体調不良で今までより自分の行動を制限していたが、推し活がない生活は死んでいるのと同じだと感じたため「感染しない+現場にはいく」ことを第一に考えた生活を意識していた。

数年後見返したとき、「こんなこともあった」と懐かしく思えるといいな、と今回その生活を記録することにした。

 

★1日の過ごし方

起床→うがい(口内洗浄)、換気(家族から苦情が出るまでは窓を開けていた)

通勤→KN95マスク、到着するまでは外さない

自席につく前に殺菌成分配合ハンドソープ(持参)で手洗い、うがい(持参)

社内→水分補給時以外KN95を外さない。場合によりアイシールドもつける

昼食→荒天時以外暑くても寒くても屋外、人との距離は十分にとる

帰宅→何よりも先に手の消毒→マスクを捨てる→人と話す前に手洗い、うがい

 

※家族は寒さを嫌がるため常時換気ができないのが悩みの種。家族の部屋が締まっているとき、不在の時はすべての窓を全開にしている。

 

★マスクについて

基本的にKN95、人混みにはいかない外出時はKF94。

絶対にひもをもって取り外す。マスクを触った後は手を洗うか消毒する。顎に下げて食事は論外。

 

★消毒について

アルコール分85%以上のアルコールを常時持ち歩く

 

これがお気に入り。

ウェットティシュはアルコール50%の100均のものを惜しみなく。(スマホなどを拭くため)

ハンドソープも殺菌効果があるものを持ち歩く

 

お気に入り。

 

★現場について

マスクをN95に変える+山本光学のフェイスシールドをつける以外はいつもと同じ対策。現場から帰宅したら即シャワーすることは習慣化している。

 

にこ健やLF,海外の論文、解説記事などを参考にしてこのような対策をしてきた。正直完ぺきとは思わないし、家族や同僚が同じ対策をしていない以上感染リスクはいつだってある、むしろ高いとは思う。それでも、この状況下で現場を提供してくれる推しの名に恥じぬように、そして安全に会えるように、という自己満足のためにこの対策を続けていくのだろうと思う。慣れると屋外昼食もいいもの。

 

 

やりたいこととできること

英語を使う職業とか海外と行き来する職業とか、就活時にやりたいことはたくさんあった。でも、「好きなことで生きていけるのは限られた人だけ」というのは知っていたから趣味を仕事にすることは一番にあきらめた。

次に大切なものは何かと考えたらお金だった。

「やりたいこと、人間関係、お金」を軸にしたときにお金が最優先で「やりたいこと」「人間関係」が良くてその職場にしがみつくのはよくない、というのを見てお金は大事だと強く感じながら就職をしていた。結果的にその選択はよかったと思っているし、この状況下では英語を使う職業も海外と行き来する職業もすべてオンラインになっていて昼夜問わず働いているようなその職業の人を見ると、「この職業につかなくてよかった」と心から思う。

情熱(passion)は確かに大事な時もあるけど、少なくとも社会人生活初め数年を過ごす環境はそれだけで選んじゃいけないよね、理性、冷静な判断も大事だよね、というお話。