失敗を恐れない
「失敗を恐れず挑戦」という言葉をよく聞く。
よく考えたら、失敗しても何らかの形で軌道修正、埋め合わせなどができるという意味だと気づいた。
そうなると「失敗を恐れず」は、心身や経済的な余裕がないと成り立たない概念なのかなとか。
学生の頃は失敗しても責任を取るのは自分だったけれど、今は失敗するとそれなりの額に、人々に影響を与えるのが社会人と学生の違いの一つだと思う。
新しい企画を始めて、うまくいかないことはもちろんよくあるけど、金銭的に余裕があれば見切り発車で企画を始めてしまいがちなのかもしれないなと働いていて思う。
もしもっと予算が通りにくい環境だったらもっと失敗になる確率は下がりそうな気がする。
お金に余裕があるって必ずしもいいことではないよね、とか。
個人的にお金に余裕があって挑戦ができることはいいことだと思うけど仮にも企業の一員として新企画を始めるならもう少し計画建てて準備する必要があると思うし、どのように成功させるかの根拠(わかりやすいのは過去事例からの分析、具体的な数字とか)を十分提示した案を出す人の企画を採用してほしい。
自分がやってみたかったことを金にまかせてやっているだけな気がする。
ところで、坂本くんが結婚してうれしいけど少し寂しい。
FCできて初めてのお知らせが結婚報告なのがなんだか面白い。
年末ならあまり報道されないから、という優しさなのかなと思っている。
結婚してももちろん好きだから会いに行けるだけ会いに行くけど。
next STEP
V6が解散した。
3月12日からあっという間だった気がする。
正直まだ実感がわいていなくて寂しいけどぼんやりとした感情になっている。
3月12日は、きっと11月2日以降は屍になっているか死にたくなっているんだろうなと思っていたけれど6人のあらゆる方向からの愛情に包まれて比較的穏やかに過ごせている。
Vlandも新FCからの贈り物も家族写真も、たくさん考えて話し合って届けてくれたんだろうなと思うと、これからもよろしくお願いします、という気持ちでいっぱいになる。
いのっちも解散は初めてだからなんて言っていいかわからないといっていたけれど、私も推しが解散するのは初めてで、何と言っていいかわからない。
6人での新しい活動が見られないことはとても寂しいけど剛くんのさよならじゃない、という言葉を胸にこれからも6人を折っていくんだろうなと思った1日だった。
最推しが結婚しなければV6に出会うこともなくて、出会ったときもこんなにはまるとは思ってなかったけどこの人たちのファンでよかったと思い続ける最後の7か月をくれてありがとう。
悲しいし辛いし寂しいけど本当に幸せな時間でした。
最後の公演は配信組で、みんな号泣するのかなとドキドキしながら見始めたら最初の方は目の水分量が多いメンバーがちらほらいて私もずっと泣いてたけどMCや写真撮影を挟むたびにどんどんいつもの6人になっていって特別なアンコールもなく終わったところが最高にかっこよかった。
いのっちががんばってMCを回そうとしてるのも10周年の時は泣いていた坂本君がまったくぶらさずに歌っているのもプライドを感じた。
光一くんがストーリーでコメントしてくれていたように、26年やってきたアイドルだからこそできるラストステージだったと思う。
今もこうやって書きながらまた涙が出てきて、しばらく6人のいない世界には慣れそうにない。
死ぬわけじゃないんだから、といういのっちの言葉を支えにVlandの住人と化そう。
遺言とコンサート
今月コンサートに行く。
緊急事態宣言が明けたとはいえ、正直長距離の移動に不安はあるし、感染したら彼らにはもちろん家族や会社など多くの人々に迷惑がかかることを考えると本当に怖い。
帰ってきてから自宅には帰らず2週間自主隔離するのだが、その間に何かあった時のことを考えて遺言を書いてからコンサートに行くべきかとも思い始めた。大げさな言い方になるが、死を覚悟してでも、自主隔離の費用を考えても、それでも彼らに会いたいのだ。
参加された方のレポを見るとノーマスク、ウレタンマスク、ノーフェイスシールドがいるようで見るだけで不安になってくるがそれでも参加したい。自己責任だと批判されてもいいから会いたい。
きっとこの先ここまで思い詰めて参加するコンサートはないのだろうと思うので、忘れないために今の状況を記しておく。
そもそも私にとって今回のコンサートは県を越える移動のため、最大限の注意を払う必要があると考え当選してから生活を大きく変えた。
まずは日常の感染対策を見直した。マスクは100枚~円のようなものからKN95に変えた。また、消毒を設置していない場所に備えてアルコール80%のジェルを購入した。
石鹸も駅やオフィスのものは緑色のよくあるものだったため殺菌効果があるものを購入し持ち歩いている。オフィス内では可能であれば周囲に人がいないときに水分補給をするように心がけている。うがい薬も持ち歩き、可能であればこまめにするようにしている。
フェイスシールドは、長時間つけていると息苦しさと頭痛が発生し、どうしても慣れられなかったため使用していない。
基本的には家とオフィスの往復で、それ以外で人に会う必要があるときはできるだけ屋外で距離の取れるところを選んでいる。家族もどこでどんな人と会っているかわからないためできるだけ対面で長時間話すことがないようにしている。
また、天候が許す限り家のすべての窓を開けて換気している。
昼食も今までは店で食べていたが天候が悪くないときは人との距離を十分に保てる屋外で食べる生活を続けている。
通勤電車は避けられないし昼食を同僚や上司ととることもある。
完璧には程遠い感染対策だとわかっている。でも、日常を削りながらコンサート開催へこぎつけてくれて、リスクの中で公演を続けてくれている彼らを思うとできることは少しでもやりたいと思うのだ。
こうした生活をしている身からすれば宣言が開けようが生活に変わりはない。
ただ、人出が多くなることは本当に不安なので今まで以上に家とオフィスの往復に徹しようと強く思っている。
ちなみに、コンサートではN95マスクや顔をすべて覆うタイプのフェイスシールドを使用する予定である。ゴム手袋は捨てることを考えると不便だと感じたため手洗い、消毒で対応したい。
推しから提示された同じルールを守る、ということ(V6 三宅健の事例)
昨日TwitterのV626アカウントにある投稿があった。
(1) V626 on Twitter: "三宅さんより改めて、ライブ開催にあたりコロナ対策に関してのメッセージをいただきました。 https://t.co/WyDsZTeSok" / Twitter
Johnny's webのにこにこ健でコンサート来場の際の感染対策を記載した日があった。
ただ、その内容の一部(マスクに対する抗菌スプレーの使用など)にファンの間でも解釈が分かれるところがあり、議論になっていたので今回より多くの人の目に触れる場所に対策を掲載してくれたのだと思う。
同じルールに従った人が来場する、というのは安心感をもたらすのでこの対応が心から嬉しかった。
感染対策ははっきりとした方法が定まっているわけではなく、何をしたら絶対感染しない、というものもない。だからこそ、各人の意識にゆだねられているところがあるのが難しいと常々思っていた。
自分にとっては普通の対策が他の人からすればやりすぎかもしれない。でも今回こうして「推しが推奨する感染対策」が提示されたことで、これを目安に他の人を判断できるようになったことは私にとっては安心する。それぞれに対して「しっかり」「ちゃんと」のような抽象的表現が使われていないところも良いなと思った。
具体的にどうすればいいのかや、自分はどうしているか、実施することによってどのような効果があるのかを分かりやすくまとめてくれていたので参考にしやすい内容だった。早速掲載されているものはすべて購入した。
今回のコンサートは都道府県を越えて移動する人も多く、移動時の対策にも一定の目安を設けてくれたことは少しでも安心して参加できるように、という配慮なのかなと思った。
余計な修飾語
余計な修飾語が日本語には多いと感じる。
最近は政治家やコメンテーター、アナウンサーなどの発言をよく聞くが
「しっかり」「とてつもない」「たたかう」など、誰でもいえる言葉しか聞こえない。
しっかり、とは。きちんと、とは。全力、とは。全くわからない。
内容のないことを言うなら何も言わない方がいいと思うし、そういう余計な修飾語をのぞけば日本語話者の業務時間や会議時間は短くなるのではないかとふと思った。
修飾語自体が悪いといっているわけではなく、根拠のない修飾語は意味がないし時間の無駄だと感じる。
しっかり、ではなく具体的に話してほしい。
方法でもいいし、数値を見せるでもいいから小学校低学年でもできる話をするのは意味が分からないと思うこの頃。
もし社会人が会社で目標を立てる際に「しっかり」と書いたら絶対に指摘されるだろうに同じような立場である彼らはそれが可能なことが分からない。
どうにかならないものか。
mental security
新しい環境になって半月。
毎日の電車通勤も電車内のきつすぎる冷房も慣れられなくて長すぎる睡眠が必要な毎日。過去数ヶ月で崩して自律神経のバランスは崩れたままで食事後の急激なほてりとか急な動悸とか意識しないとすぐ浅くなる呼吸とかめんどくさいなと思いながらも付き合っている。
面談があって、自律神経のバランスが崩れていて戻そうと頑張っていると伝えたら上司たちも似た経験があるようで無理をしないようにということと、何かあったら相談するようにということを伝えられた。ここにいる限りはプライベート保証するっていう言葉もうれしかった。
定型文ではなく、本当に心配してくれていることが伝わってきて思わず泣きそうになった。そこで泣くと余計心配されそうなのでお得意のにこにこでカバーした。深刻なことを話すとき笑いながら話してしまう癖やめたいなあ。
久しぶりに自分を心配してくれる人に出会えたのが嬉しかったのかな。オンラインでの面談は何度かあったけどやはり内容が重くてもとりつくろえてしまうから対面の方がいいなと思った。にこにこしてても伝わってしまうんだなあって。
でも驚いてたから外から見たら健康的に見せられているんだろうなあとも。
なかなか精神状態が安定しない中でmental securityが確保された環境にいる、というのが分かったことでかなり救いになった。助けを求められる環境にあることを分かれてよかった。彼らからしたら当たり前の反応なのかもしれないけれど大げさでも何でもなく、死にたい気持ちが少し薄れた。メンタルの傷は不可逆的だから治るとは思ってないけど、自律神経は何とか整えられたらなあ。