alive
卒論を書いている。
人の命を数字で扱う日々である種感覚がマヒしてくる。
例えば2000人殺されたならばその死を悲しむ人々はその何倍もいるはずなのに私はその2000人の名前も顔も何も知らないまま2000人が殺された、という事実として扱う。いくらそれをあとから分析して何か教訓が得られたとしてもその人たちは教訓になるために殺されたわけでないし、なんでこんなに鬱々とするテーマを選んでしまったのかと思うこの頃。
日本ではSMAPが、KinKiが、V6が活躍していた頃に違う国では名前も顔も残らない人々が数えきれないくらい殺されていたんだなと思うと言葉にならない。
文献を読んでいても死と恐怖を感じることばかりで、普段わけもなく死にたくなる人間がこんな論文書いていいのかと思いつつ進めている。
実はもう最終締め切りまであまり日がないのだがここにきて根本的な問題である、「too general」の鎖に縛られてしまった。もちろん今からどこかの問題にフォーカスしなおすことはできないしリサーチクエスチョンも教授からOKが出たものに基づいているので悪いテーマではないと思うのだが個人にフォーカスすることは犯罪者の判例を扱うとき以外ほぼないし、「多くの~人」のように一般化して書く文のなんて多いこと。
もしできればこのテーマを将来院でもう一度考え直したいなととても思う。