性善説
世代ごとの価値観の違い。
親は、お互いの名前がわかるクローズトチャットとかでは多少侮蔑的な表現とかも使っても本音が言えるならそれでいい、という考え方なんだけど、普通にその感覚が理解できない。
名前わかっても顔わかるわけじゃないからもしかしたらその人の名をかたった他人かもしれない。そのチャットサービスが100%安全(なんてことは世の中にないんだけど)なわけはないからなにかのきっかけで本名とセットで発言がばれるかもしれない、それが拡散されるかもしれない、とか考えたらよほど親しい人じゃない限りオンラインでおパーソナルな話をテキストですることは危険しかないなと感じてしまう。
これは、世代間の違いなのだろうか。
親たちは、クローズトの安全性を信じて、そこにいる「名前を知っている」人々は本物であると信じて、その人たちの中に自分に少しでも負の感情を抱いている人はいないと信じて、そう行動しているのかもしれない。
でも私には無理だ。
私は、未成年飲酒とか労基法違反のようなストーリーを見つけたらそれが親しい友達限定公開であってもスクショしてしまうし、誰かの消したい黒歴史みたいな画像も保存してしまうし、長文闇ストーリーとかにおわせも保存してしまう。いつかその人たちが自分に害を及ぼしてきた問いに反撃する材料になるから。
みんなが私みたいな人ではないことはわかっているけど、こういう行動をとる人もいることを考えると、うかつに発言はできないなと思う。
URL限定公開とかならまだしも、一応パブリックなサービスの中でクローズトチャットを作成するのはもはやクローズトではないのではないかなと思う。
この感覚ってデジタルネイティブならではなのかな?それとも親のデジタルリテラシーが低すぎるのかな。
世の中そんないい人ばかりじゃないよ。
切り抜きでもいいからあなたに不利な証拠を作り出したい人なんてごまんといるんだよ。あなたがいくらそれを否定しても、一度拡散された間違った情報を払しょくすることが不可能に限りなく近いよ。
正論とか理想的とか私の意見を切り捨てるのは勝手だけど、あなたがいざ追い込まれた時私は何も助けないよ、だって助言したから。
性善説くそくらえ。